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あわびさん日記

〜さもやらぬさえもせぬひびのことやらつらづらと

お見送りの作法

映画

これは名作

https://filmarks.com/jackets/905/905474_l.jpg


「お見送りの作法」を見に梅田シネリーブルへ


これは名作。見てよかった。良い映画。


映画は、監督と観客の人間力勝負だ。
知恵と経験の総力戦であり、
観客が勝てば「この映画どっかで見たことあるなー」やら「よくある映画だな」
とか「何この薄っぺらい話」といった評価が下される。


まあ監督が大勝ちしても観客は監督の高慢さに鼻持ちならない思いをしたりして
低評価を下したりするんだけど。


この映画、途中までは観客の想像の範囲の「安全装置」が効いた形の「感動映画」だ。


心地よくて、Well-madeで、思わず居眠りしそうになる。


だけども、もう本当に最後の最後で
「安全装置」が壊れて観客の想像外のスピードで映画が暴走し出す。


そして、この瞬間、ああ、この映画はこのラストのためにすべてのエピソードが
構築されていたんだ!ヤラレタ!と思う。


周到に準備されているドミノが最後にすべて音を立てて崩れ、
多分今後の映画史に残る名シーンへと怒涛のように突入していく。


そんな映画でした。


予告編など見ずに、頭真っ白にして見に行った方がいいと思います。

「悼む人」との比較


先週は、「悼む人」を見たんですが、比較するとこちらの方がかなり大人だなあという印象。


「悼む人」も良い映画なんですけど、
結局「酷い親」だけど「親は親」。
そこから生まれる親への「愛憎」という複雑な感情。
そんな「よくある題材」からそれ以上の高みまでは見渡せていないのです。


なんというか、太宰的というか、寺山修司的というか、、
そう考えれば結構、日本文学はこういうの多いけど。
結局のところ「マザコン」文学、「家族愛最高」文学なんですね。
よくも悪くもすべてが親のせい。でも親は親でしょ!親がいないとあなたは存在しないのよ!
といったパラドックスに依存した「家族文学」。


多分、それは日本と西洋の家族主義と個人主義の差かもしれないけどね。


この映画はその点、その愛憎劇についてはあまり重く描かず、
「あなたはどう生きるべきか」というこの監督の思いに重きを置いている。
そして、そのどう生きるべきかという思いは、僕自身、
なんとなく思ってたことだし、それをよりビジュアルに、さらに深く、かつ端的に示してくれていたので今後の参考になるなあとも。


僕は「完璧な愛に包まれた家族があって、親も子も孫もいて幸せだね」なんていう物語は見たくないんです。
これは逆に「家族を作らないとダメだー!こんな寂しい思いしたくないでしょ!」というメッセージも同じ。


「よい家族があれば幸せ」なんて2時間も3時間もかけて言ってくれなくても分かっているんです。
うるさいとさえ思う。それこそおとぎ話じゃないのかと。


現実として、誰も「完璧な愛に包まれた家族」なんかを持っておらず、みんなどこか欠けた存在なのです。
どこか欠けた人々がどう自らの「幸せ」を認識するのか、その認識のやり方を「発見」させてくれたり、
「考え方」を後押ししてくれたりするのが良い映画で、「お見送りの作法」もその映画のうちの一つだと思ったり。


もちろん好き嫌いはあるけどね。
僕には好きな映画でした。